気まぐれきりん

不登校の娘(小5)と暮らす、歪な日々を綴るエッセイ的な。

校内教育支援センター、感謝

不登校の娘は、教室に入ることが出来ない。

聴覚の過敏さもあって、教室のザワザワ感が苦手なんだそう。

 

 

なので、学校に行くときは保健室に登校することが多い。

 

 

 

そんな娘が通っている学校に「校内教育支援センター」が出来る。

 

 

 

出来るという噂は聞いていたけれど、娘が在校中にできると思っていなかったから

驚いたし、うれしかった。

 

先生方のご尽力に感謝しかない。

 

 

 

「教室に入りづらい子ども」のために作られた教室とのことで、さっそく入室の手続きをすることになった。

 

 

朝は何時に起きるかわからない

帰るのも何時になるかわからない

毎日行くかもしれないし、週に一日も行かないかもしれない

 

 

 

そんな娘を受け入れてくれる小学校の先生方には本当に感謝しかない。

 

 

 

もしかしたら、行かないかもしれない。

今は行く気だけど、やっぱり気が変わるかも。

 

 

でも、行ける場所の選択肢が増える

それだけで希望がある、と思う。

 

 

「教室」しか行ける場所がなかったら、今頃、娘はずーーっと部屋に引きこもっていたともう。

そんな姿を見て私ももやもやするし、

いや、それどころか毎日怒って、最終的にあきれて放置してしまうかもしれなかった。

 

 

だから、選択肢が増えるということは、私たち親子の生命線といっても過言ではない。

 

 

 

きっと他にも悩んでいる子どもや親はいると思うから。

教室に行けなくて困っている子どもや

悩んでいる親の、助けになる足がかりになれたらいいと思う。

 

 

この小学校に通って

今の先生方にお世話になれて、本当に本当に良かった。

 

 

行き場をなくしたお弁当

「明日は学校行く!」

 

なんだか張り切っている日曜の夜。

 

これもまたよくある光景だ。

 

 

「そっか、わかった」

 

 

いつもの調子で受け入れる。

 

 

さて、学校に行くということは、お弁当を作らねばならぬということか。

 

 

冷蔵庫としばし、二人きりの会議。

 

 

そうだ、業務スーパーで買った激安冷凍肉団子がある。

あやつを甘じょっぱいタレで絡めてミートボールっぽくしよう。

これならお弁当用の冷凍食品を買いに行かずに済む。

 

 

 

 

朝、意気揚々とお弁当を作る。

 

 

 

8時、起きてこない

 

まあ、いつもの通りだ。

 

9時、まだ起きない

 

あれ、怪しい感じ?

 

10時、まだ起きない

 

ああ、これはもしや、、、

 

 

10時30分、ぺたぺたと廊下を歩く音がする。

 

「のどが痛い」

 

 

 

おお、そうか、そうか。

 

そのあとに続く言葉は出てこない。

 

 

「のどが痛いということは?休み?」

 

しまった、言ってしまった「休む」のワード。

こちらからは言わないようにしているんだけど。

つい、出来心で。

 

 

「うん、そうするわ」

 

 

 

 

そうして、行き場をなくしたお弁当は、冷蔵庫に帰っていった。

 

 

どことなく寂しそうなお弁当

 

明日はどうかな。

 

明日は明日の風が吹く、よね。

 

不登校、肯定も否定もしない

うちの娘(小5)はいわゆる不登校

 

と言っても、たまに気まぐれで登校することもあるので

正確には「不登校」とは言わないのかもしれないけど。

 

行くときは連続して行くけど、

行かない時はビッチリ何週間も行かなかったりする。

 

 

行くかどうかを決めるのは当日の朝で、

「今日は行く」

と言うので、はいはいと私も学校まで送っていく準備をする。

 

 

こんなだから私は仕事はしていない。

 

最近では珍しい「専業主婦」だ。

 

 

昨年までパートはしていたんだけど、

その間も行ったり行かなかったりな時もあったから、

いつも「置いて行ってしまっていいんだろうか、、、」と不安になりながら、

でも背に腹は代えられない、と自分に言い聞かせてパートへ行った。

 

 

そのころに比べれば、「置いていく不安」という看板が立てられた井戸にわんさか涌いてた濁った水はだんだんと涌かなくなり、井戸は枯れた。

 

でも、逆に、

「一緒にいる不安」という看板が立てられた新しい井戸に、

澄んではいるけど飲むのはキケンな水がじわじわと涌いてくる。

 

 

 

「お母さんが家に居る安心感で学校にますます行かないんじゃないですか」

 

 

 

実際に学校の先生に言われた言葉だ。

 

分厚いハードカバーの大型本の角で、頭をガッツーーーンと打たれたような、そんなショックがあった。

血が出るほどではなかったけどサ。

 

 

でも、正直この人は何を言っているんだと思った。

そもそも家が安心できる場所で何が悪いんだ、

安心できる家があるから外に出ていく勇気が湧いてくるんじゃないのか、

学校がワクワクする場所だから、楽しい場所だから行こうと思うんじゃないか。

「家は安心できないから、学校は楽しくないけどまだましだ」

と思わせろってことなのか。

それって「学校は楽しくないところですよ」って先生自ら言ってしまってるじゃないか!

 

 

と憤ったことも事実。

 

 

 

 

 

仕事をしてれば置いていく不安

仕事をしなければ一緒にいる不安

 

なんとしたって不安はなくならないんだ、そう思った。

 

 

 

正直、家に居たってたいして会話をするわけではないんだけど、

「家にだれかがいる安心感」ってあると思う。

 

先生も言っていたように、安心できない方が学校に行けていいんじゃない?

と思われる方もいるとは思う。

その気持ちもわかる。

 

でも、娘の場合は置いて行かれていたときだって学校に行かなかったんだから、

だったらどっちでもよくない?

それよりも安全で安心な方がよくない?

と、私は思ってる。

 

 

 

 

学校に行かないこと。

私は否定も肯定もしない。

 

娘がそうしたいと思って選択していることだし、

人生の選択に正解も不正解もないと思う。

 

誰にも他人の人生を決めることは出来ない。

家族だって他人だ。

違う個人だ。親の所有物ではない。

 

 

親の言う通りに動いていれば間違いがない、なんてことはない。

 

それに、間違ったっていいじゃない、自分の人生なんだから。

 

 

 

そりゃ、親としては普通に学校に行って皆が進むように進学して就職してくれる方がラクではあるよ、働けるし、歩む道が見えている方が、何をいつまでに準備しておくべきかがわかるしね。

 

 

 

先日、夜寝る前に末っ子がふいに話してきた。

 

末っ子「お姉ちゃんはどうしてお風呂がきらいなの?」

私「お姉ちゃんはね、あっついのが苦手なんだよ。

みんなが大丈夫だと思っている温度でも、とっても熱く感じるし、

おふろの熱気も嫌いなの。シャンプーの泡を立てるのも苦手なんだよ。

だからお風呂が嫌なんだ。」

末っ子「そっか、そうだったんだね。

でもね、ぼくは、みんなそれぞれ違っていいと思う。

みんなそれぞれ得意なことは違うし、苦手なことも違う。

でもそれでいいし、そのままがいいってぼくは思うよ」

 

 

そんなことを小1の息子が話してくれた。

 

小1とは思えない思考の深さに、母、完敗。

 

小1の子がそうやって言っているのに、

親が「とにかく何が何でも学校行け!」というのは違うよなあ、と

気付かされた。

 

 

 

お風呂が苦手



 

働きに行けないもやもやはいつも抱えているけれど、

勉強もせず動画見て大笑いしている姿を見てイライラするけれど、

気分で動く姿に「社会に出たら通用しないぞ」とも思うけど、

 

(あれ?否定感強くない?)

 

 

それでも私は肯定も否定もしないことにした。

 

 

好きなもの嫌いなものだってひとそれぞれで、

得意なことも苦手なことも人それぞれで。

いつかはくるとわかっている生理だって、そのいつかは人それぞれで全然わからない。

 

 

学校は、大多数の人は楽しめる環境なのかもしれないけれど、

たまたまうちの娘にはツライ環境だっただけであって、

それを「みんなと同じにしなさい」と強要することはできない。

 

 

黙って見守るのはつらいけど、でも、見守るよ。

困ったときは助けるよ、できる範囲で。

 

 

自分でした選択に、自分で責任をもって、この人生を全うしてほしい。

間違うこともあるかもしれない。

でも、それはそれで「自分色の人生」ということでいいんじゃないか。

 

 

きっと大丈夫だよ。

 

 

 

多分。

 

 

 

 

保育園、退園のすゝめ

「一度退園して、お母さんとの時間を作ってあげた方がいいと思います」

 

「ん、、、、、え?、、はい?えぇっと、、今なんて?」

 

 

 

娘を産んでから初めての大きな壁にぶち当たったのは、保育園の頃だった。

 

 

どっかーーーーん(ぶつかった)

ずしゃっ(転んだ)

いててて、、、

 

育児の壁

 

 

娘が2歳になった頃、弟がうまれた。

 

 

思えば、娘は大変手のかかる赤ちゃんだった。

 

夜はなかなか眠らない

だっこしていないと泣き続ける

お腹が空いてるわけでもない

訳が分からない、、、

夜中の二時過ぎまで泣き続ける娘を抱っこしながらこっちが寝落ち、、、

そんなこともあったっけ。

 

あの揺らせばグワングワンと前後に激しく動くゆりかごみたいなやつ、

ええっと、、、そうそう、バウンサー

あんなの、うちの娘には全く意味がなかった。

泣きやむどころか大泣きで、

しかもあれに乗せると100%の確率でウンチが背中にもれてびっしゃびしゃ

そしてバウンサーにも染み渡ってびっしゃびしゃ。

 

泣きたいのはこっちの方じゃい、、、

 

こんなにおとなしく座ってくれることは無かった

 

 

「最初の子が女の子!良かったわねえ」

「女の子はいいわよ、寝つきはいいし、面倒見は良いし」

「大きくなったらお母さんを助けてくれるわよ!」

 

色んな人によく言われた。

 

でもそんなの嘘だ、迷信だ。

 

 

のちに更にもう一人弟がうまれて証明することになる。

弟たちの方がよっぽど寝つきがいいし(8時間以上寝る)

面倒見だって弟たちの方がいいぞ。

 

 

 

さて、弟がうまれてから育休で家に居たけれど、娘は保育園に連れて行っていた。

 

罪悪感はあったよ、家に居るのに保育園に預けるっていうことに。

 

でも、一人で赤ちゃんを見ながら上の子を見るのは大変だしサ、できれば保育園で思い切り活動してきて、それで夜はぐっすり眠ってほしいって思ってた。

お昼ごはんの用意をしなくてもいいしね。(ここが重要)

 

 

でも、そのころから娘の様子がおかしくなった。

 

 

登園前から泣くのは本当に赤ちゃんの時からで、

毎朝、マジックテープでくっついているかのように離れない娘を

先生が「ビリビリッ」と剥すように娘を持っていく。

 

それはいつのもことだったんだけど、

どうも弟がうまれてからは保育園での活動中もずうっと泣き続けているようだった。

 

外遊びもしないでずっと教室の中にいるらしく、

先生も困っていたんだろう。

 

 

ある日、お迎えに行ったとき、「退園」を勧められた。

 

 

えっ、そんなことある?

育休でも預けられるって規定にあるジャン、

先生が退所を勧めるってどういうこと?

いやいや、それってアリなん?

 

私、一人で大パニック。

 

 

正直私には

「家に居るんだったら一緒に娘の面倒も見ろよ」

と言われているようにしか聞こえなかった、、、。

 

でも、このころ住んでいたのはドがつくほどの田舎だったし、

あーだこーだ言って地域で噂を立てられるのもイヤだなあと思って、

(なんでもすぐ噂になるからねえ)

残念だったし納得できなかったけど、退所を受け入れることにした。

 

田舎だから保育園に入る事自体は難しくないし、

申請すればすぐにまた入園できるから、行けるようになったらまた入園させよう。

そういうことにした。

 

 

 

退園を勧められてからネット記事も色々見た。

本も読んだ。

「下の子が生まれると上の子が不安定になりがちだから、どんな時でも上の子を優先してあげてください」

そうやって書かれているものばかりだった。

 

「仕方ない、か。

まあ、今ちゃんと娘の気持ちを受け止めてあげれば、今後の成長がスムーズにいくかもしれないし。(ネットにも本にもそうやって書いてあるし)

今はたっぷり娘を甘えさせてあげよう!」

 

 

でも、そんなに甘くはなかったわ、、、。

 

結局今でも娘と弟は仲は悪いわ、学校は行かないわ。

学校自主退学してるようなもんじゃん(義務教育だからそれはできないけど)

 

 

 

あれ、、、保育園辞める意味あった?

 

ま、まままま、まあまあ、

やらない後悔よりやった後悔のほうが良いから、あれはあれでいい選択だったと思おう。

 

 

でも、あの時泣いていたのは、今思えばほかにも理由があったんじゃないかって。

そもそも保育園にはいつも泣いて行っていたし、

そのあと行った幼稚園も、

小1になってからも毎日毎日泣いていた。

 

「そういう子だから」

と、一言で片づけていたけれど、他にサインは無かったか。

 

色々と考えだすときりがない。

 

 

 

 

育児は育児書どおりにはいかないし、ネットの記事は参考になるようでならない。

先生の経験則が自分の子どもに当てはまるとも限らない。

 

周りのアドバイスを受け入れることも大事だけど、自分が思うように選択していくことも大事だよなあと、今になって思う。

 

 

 

あの時ぶち当たった壁、すごく大きな壁に見えたけど、

成長すればするほど、壁はどんどん大きく分厚くなってくる。

 

ずしゃっと転ぶどころじゃない

 

毎日血だらけになってかさぶたが出来る前に

またころんで同じところに傷を作る

更に砂利が入ってきず悪化

 

いてえのなんのって。

 

そんな感じの日々。

 

 

 

そして今日も娘は休む。

そして私も家に居る。

 

 

今日の調子→良い、出欠→欠席

コロナ禍で、学校への出欠連絡はアプリで報告することになった。

 

 

不登校児の親としては大変、大変助かる。

 

 

コロナ前は、学校との連絡手段は専ら電話だった。

 

そもそも私は電話が好きじゃぁない。

ドキドキするし。

誰が出るかわからないしさあ、

そもそも休む理由もよくわからない。

 

スマホ握りしめながら、なんて言おうか頭の中でシュミレーションする。

 

「いやだなあ、何で電話しなきゃいけないんだ、、、」

「元気なら学校行ってくれよ、、、」

「それか誰か代わりに電話してくれ、、、」

そう思いながら、毎朝いやいや電話していた。

 

あの頃を想うと、今は学校を休むのも気楽だ。

 

「今日の体調はいかがですか?」

「良い」

 

「今日は出席しますか?」

「欠席」

 

こうして朝のハードルは軽々と乗り越える。

 

 

 

 

娘が学校に行き渋りをし始めたのは小2の時だった。

家を出ようとするとめそめそと泣き始める。

理由は言わない。

 

そもそも保育園の時からいつも泣いてはいた。

難しい子だとは思ってた。

いつか不登校になるんじゃないか、って想像もついてた、けど、、、

 

 

色々手は尽くしてみた、

でも、なかなか「普通に」行けるようにはならなかった。

 

「普通」だったのはいつまでだったんだろう

 

 

あれから3年が経った。

 

最近は、殆ど学校に行っていない。

 

 

それでもいい、元気なら。

そう思える日もある。

心に余裕があるときならね。

 

でも、親だって人間だ。

いつでも心穏やかにいられるわけじゃぁない。

 

 

昼まで寝ていた娘が、挨拶もそこそこに冷蔵庫からヨーグルトを出す。

カツンカツンと容器の底にスプーンを当てながら、あっという間にたいらげる。

偏食の娘は、自分が食べたいものしか食べてくれない。

 

「食欲出てきたからパン食べるわ」

 

そう言ったのを聞いて、つい怒りが噴出して流れ出てしまった。

 

「いつもパンばっかり食べて、そういう食生活してると良くないよ。コメがいいんじゃない、コメが。というかそもそもそんな食生活してて大丈夫なの。自分でちゃんとご飯用意できないんだったら朝ちゃんと起きなさいよ、朝起きてくれればお母さんだってちゃんと料理してるんだからサ。いつまでもダラダラダラダラ寝ちゃってさあ、、、ああもうちゃんとしてよ」

 

 

箸を握りしめながら泣く娘。

 

娘にも自分にも嫌気がさして、私は自分の寝室に引きこもった。

 

 

 

 

アプリでは、「欠席」と報告すればそれで終わる。

 

「欠席」

「欠席」

「欠席」

 

いつも変わらない「欠席」の報告。

でも、その「欠席」を決めるまでには色々な想いとか出来事とかがある。

 

私は電話は嫌いだ。

でも、話さないと伝わらないことも多分あるよなあとも思う。

ニュアンスとか。

 

そうだ、不登校用のボタンがあったらいいんじゃないか?

「今日の体調はいかがですか?」

「良い」

 

「今日は出席しますか?」

「欠席」

 

「理由は?(複数回答可能)」

「なんとなくお腹が痛い」

「なんとなく頭が痛い」

「気分が向かない」

「勉強をしたくない」

「人に会いたくない」

「まだ寝ている」

「わからない」

「その他」

 

みたいに詳細に報告できるボタンがあったりして。

そしたら状況が先生にも伝わって対処のしようもあるんじゃないか、なあんてね。

 

 

3年の間には色々と出来ることはやってみた。

母子登校、

別室登校、

二者面談、

三者面談、

保健室登校

相談室登校、

教育指導センター登校、

精神科への通院、

療育相談、、、、

 

何をやっても一進一退。

それどころか、一歩進んで二歩下がる状態。

 

先生だってお手上げだろう。

 

学校でも病院でも教育指導センターでも、先生たちが言うことはいつも同じ。

「この子のペースに合わせてあげましょう」

 

 

わかります、わかりますとも。

 

でも、親としては静観してばかりもいられないんですよ、ほんと。

行けない本人も辛かろう、

でも、見守る親も辛いんじゃ。

 

 

 

 

 

どうしようもない気持ちを抱えながら、春めいたベランダに腰かけて、

昨日2時間かけて飴色にした玉ねぎの野菜スープをひとり、ずずずっと飲む。

 

 

・・・うまい。

ベジブロスを使ったのも良かった。

次はどんなスープを作ろうか。

 

 

私の心とはウラハラに、風もなく、あたたかい陽気。