気まぐれきりん

不登校の娘(小5)と暮らす、歪な日々を綴るエッセイ的な。

不登校、肯定も否定もしない

うちの娘(小5)はいわゆる不登校

 

と言っても、たまに気まぐれで登校することもあるので

正確には「不登校」とは言わないのかもしれないけど。

 

行くときは連続して行くけど、

行かない時はビッチリ何週間も行かなかったりする。

 

 

行くかどうかを決めるのは当日の朝で、

「今日は行く」

と言うので、はいはいと私も学校まで送っていく準備をする。

 

 

こんなだから私は仕事はしていない。

 

最近では珍しい「専業主婦」だ。

 

 

昨年までパートはしていたんだけど、

その間も行ったり行かなかったりな時もあったから、

いつも「置いて行ってしまっていいんだろうか、、、」と不安になりながら、

でも背に腹は代えられない、と自分に言い聞かせてパートへ行った。

 

 

そのころに比べれば、「置いていく不安」という看板が立てられた井戸にわんさか涌いてた濁った水はだんだんと涌かなくなり、井戸は枯れた。

 

でも、逆に、

「一緒にいる不安」という看板が立てられた新しい井戸に、

澄んではいるけど飲むのはキケンな水がじわじわと涌いてくる。

 

 

 

「お母さんが家に居る安心感で学校にますます行かないんじゃないですか」

 

 

 

実際に学校の先生に言われた言葉だ。

 

分厚いハードカバーの大型本の角で、頭をガッツーーーンと打たれたような、そんなショックがあった。

血が出るほどではなかったけどサ。

 

 

でも、正直この人は何を言っているんだと思った。

そもそも家が安心できる場所で何が悪いんだ、

安心できる家があるから外に出ていく勇気が湧いてくるんじゃないのか、

学校がワクワクする場所だから、楽しい場所だから行こうと思うんじゃないか。

「家は安心できないから、学校は楽しくないけどまだましだ」

と思わせろってことなのか。

それって「学校は楽しくないところですよ」って先生自ら言ってしまってるじゃないか!

 

 

と憤ったことも事実。

 

 

 

 

 

仕事をしてれば置いていく不安

仕事をしなければ一緒にいる不安

 

なんとしたって不安はなくならないんだ、そう思った。

 

 

 

正直、家に居たってたいして会話をするわけではないんだけど、

「家にだれかがいる安心感」ってあると思う。

 

先生も言っていたように、安心できない方が学校に行けていいんじゃない?

と思われる方もいるとは思う。

その気持ちもわかる。

 

でも、娘の場合は置いて行かれていたときだって学校に行かなかったんだから、

だったらどっちでもよくない?

それよりも安全で安心な方がよくない?

と、私は思ってる。

 

 

 

 

学校に行かないこと。

私は否定も肯定もしない。

 

娘がそうしたいと思って選択していることだし、

人生の選択に正解も不正解もないと思う。

 

誰にも他人の人生を決めることは出来ない。

家族だって他人だ。

違う個人だ。親の所有物ではない。

 

 

親の言う通りに動いていれば間違いがない、なんてことはない。

 

それに、間違ったっていいじゃない、自分の人生なんだから。

 

 

 

そりゃ、親としては普通に学校に行って皆が進むように進学して就職してくれる方がラクではあるよ、働けるし、歩む道が見えている方が、何をいつまでに準備しておくべきかがわかるしね。

 

 

 

先日、夜寝る前に末っ子がふいに話してきた。

 

末っ子「お姉ちゃんはどうしてお風呂がきらいなの?」

私「お姉ちゃんはね、あっついのが苦手なんだよ。

みんなが大丈夫だと思っている温度でも、とっても熱く感じるし、

おふろの熱気も嫌いなの。シャンプーの泡を立てるのも苦手なんだよ。

だからお風呂が嫌なんだ。」

末っ子「そっか、そうだったんだね。

でもね、ぼくは、みんなそれぞれ違っていいと思う。

みんなそれぞれ得意なことは違うし、苦手なことも違う。

でもそれでいいし、そのままがいいってぼくは思うよ」

 

 

そんなことを小1の息子が話してくれた。

 

小1とは思えない思考の深さに、母、完敗。

 

小1の子がそうやって言っているのに、

親が「とにかく何が何でも学校行け!」というのは違うよなあ、と

気付かされた。

 

 

 

お風呂が苦手



 

働きに行けないもやもやはいつも抱えているけれど、

勉強もせず動画見て大笑いしている姿を見てイライラするけれど、

気分で動く姿に「社会に出たら通用しないぞ」とも思うけど、

 

(あれ?否定感強くない?)

 

 

それでも私は肯定も否定もしないことにした。

 

 

好きなもの嫌いなものだってひとそれぞれで、

得意なことも苦手なことも人それぞれで。

いつかはくるとわかっている生理だって、そのいつかは人それぞれで全然わからない。

 

 

学校は、大多数の人は楽しめる環境なのかもしれないけれど、

たまたまうちの娘にはツライ環境だっただけであって、

それを「みんなと同じにしなさい」と強要することはできない。

 

 

黙って見守るのはつらいけど、でも、見守るよ。

困ったときは助けるよ、できる範囲で。

 

 

自分でした選択に、自分で責任をもって、この人生を全うしてほしい。

間違うこともあるかもしれない。

でも、それはそれで「自分色の人生」ということでいいんじゃないか。

 

 

きっと大丈夫だよ。

 

 

 

多分。